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好きになった人には、いつも“本命”がいた。
曖昧な距離感、期待させるような言葉、でも結局は選ばれない。
そんな恋を、私は何度も繰り返してきました。
その度にこんな言葉が浮かんできた「やっぱり私じゃない」「私じゃ無理なのかな」と・・・
でも最近ふと、浜崎あゆみの『Is this love?』を聴いていたとき、
私の中で思ったことがあったんです。
「どうして私じゃないの?」
これって相手に伝えるようで、実は自分が自分に対して言っている言葉なんじゃないの?って
それと同時に父親に対してもそう思っていたのかもしれないと・・・・
この問いの“発信者”は、誰だったのか?

最初は、あの恋の相手に向けた言葉だと思っていました。
でも、本当にそうだったのでしょうか?
もしかするとこれは、インナーチャイルドの声なんじゃないかと・・・
その時に、私はある仮説を立てて掘り下げをしてみました。
“幼い私”がずっと言えなかった声。
そして、“父親に向けて抱いていた想い”だったのかもしれない。だとしたら、本当は父親に何を言いたかったの?どんなことをして欲しかったのかな?と問いかけました。
すると、私の奥の奥から微かに「もっとお父さんに遊んで欲しかった」って聞こえてきたんです。
あの家族のように、ただ何も特別なことなんてしなくていいから、公園で遊んで欲しかったと・・・
その言葉をノートに書いた時自然と涙が溢れてきて止まりませんでした。
「そっか私そんなこと思ってたんだ」とようやく気づいたんです。
恋の中に投影されていた“父の影”

曖昧な態度・期待させる言葉・でも決定的なことは言わない。
見ているようで、見ていない。近くにいるのに、心の中には入ってこない。
あの人の態度は、どこか父と似ていた。
そして私は、“父に言えなかったこと”を、恋愛の中で繰り返していたのかもしれない。
「仕事ばっかりしないで、もっと私に関心を持ってほしい」そう思って無意識のうちに私は、自分がそのままでいいってことに許可を出せなくなり、気づいたら《何かが得意な自分にならないといけない》
と無意識にそういう思考の癖を作ってしまった。
父親の影を異性に投影しては、その人に好かれるために《自分じゃない誰かになろうと》
必死にメイクしたり・髪型を変えたり・服装も着飾って《女性らしくすることで》自分の価値をあげようと努力していた。
「どうして私じゃないの?」という声の本質
あの言葉の本当の意味は、
“愛されたい”ではなく、**“存在を確かめたい”**という叫び。
- 私を見て
- 私を選んで
- 私を“唯一”だと言って
それは、恋の相手に向けた願いというよりも、
人生で一度も届かなかった、存在承認への飢えだったのです。
ようやく気づいた、“伝えたかった相手”
だから私は、今ようやく言えるようになった。
自分の本音を自分で受け止めることができたの。
「あの時、私は“お父さん”に選ばれたかった」
「ちゃんと見てほしかった」
「誰かと比べないで、“私”として見てほしかった」私が何をしても、何をしなくても、ただ「おいで」って言って欲しかった
いつもは「今さら父親なんて・・・」と自分の本心と向き合うことをしようとは思わなかったと思う。
でも、もうこれ以上恋愛で悲しい思いしたくないからこそ向き合った。
「もうあんな思い二度としない」と自分に誓ったから・・
あの恋の痛みを、自分に返してる
「また私じゃなかった」
そう思ったあの日の私に、こう言ってあげましょう。
「ごめんね。よく我慢してきたね」
「あなたは間違ってなかったよ。
“選ばれたかった”のは、当然だった」
「これからは私が、あなたのことをちゃんと選ぶよ」
あの恋を引き寄せたのは、インナーチャイルドの気づいてのSOSだったんだってようやく気づいた。
その人のことが忘れられないんじゃなくて、本当は言いたくても言えない未消化の感情が心に残っているから、まだあの人のことを綺麗に忘れることができていないんだということを・・・。
まとめ
もしあなたも、
何度も「どうして私じゃないの?」と苦しんだ恋愛をしてきたなら
それは「未熟な恋をしてきた」のではなく、
あなたの中に“本当の声”まだ眠っている証拠です。
その声を、
もう恋愛相手に預けなくてもいい。
今ここから、
“あなた自身が、あなたの想いに応えていく物語”が始まります。