
▷「いいねが欲しい」…のに、満たされない
SNSやブログ、発信をしていると「反応が欲しい」って思う瞬間、あるよね。
でも──
いざ「いいね」や「コメント」をもらっても、どこかで満たされない自分がいる。
それはなぜ?
それは、とても人間的な感情です。
でも、深く掘ると「いいねが欲しい」って、ただの承認欲求じゃなく、もっと繊細な心の叫びなんです。
🔍「いいねが欲しい」の奥にある本当の理由
① 「私は愛されない存在かもしれない」という無意識の恐れ
過去の経験や親子関係、恋愛での傷つき体験が影響していることが多いです。
→「愛されるには○○しなきゃ」という思い込みが根強い。
「私はここにいるよ」って誰かに見つけてほしい
本音では、こう思ってない?
「私は無視されていい存在じゃないよね?」
「ここにちゃんと存在してるよね?」
“存在の肯定”を誰かの反応で確かめたいんです。
② 「そのままの自分では価値がない」という自己否定
だから、何かを“している自分”を認めてほしくなる。
→「がんばってる私を見て」「発信してる私を褒めて」という衝動。
「ちゃんと届いてる?」という“確認欲求”
がんばって絞り出した言葉や気持ち。
それが誰にも触れられないと、「存在しなかった」ことにされるようで苦しくなる。
だから、「誰かに届いた」という小さな証拠として、いいねが欲しい。
③ 安心できる場所がなかった、という心の孤独
→ SNSや人の反応が「繋がっている感覚」の代替になる。
でもそれは一時的だから、また欲しくなってしまう。
「あなたの中の特別な存在でいたい」
好きな人に、自分が価値のある人間として認識されたいと願うのは当然です。
SNS上でも無意識にそれを投影していて、
「いいねの数」で“私は誰かの特別かどうか”を測ってしまうことがある。
🌿 本当に欲しいのは、外側の反応ではなく…
- 「私はここにいていい」という深い安心感
- 誰かからの評価ではなく、「ただ在る」ことの充足感
- 無理しなくても、“愛されている”という実感
本当は「いいね」より「共鳴」が欲しい
でも結局、数字じゃなくて欲しいのはこれ👇
🌱「私もそうだったよ」
🌱「その言葉、心に刺さった」
🌱「読んで泣いた」
つまり、**“共に感じ合える誰か”**を求めてるんです。
▷反応は“確認作業”になってない?
本当は【反応が欲しい】んじゃなくて、【がっかりする理由を探している】自分がいるとしたら──?
- やっぱり私なんかダメか…
- やっぱり伝わらないんだ…
- やっぱり誰も見てない…
これは無意識の 「自分を傷つけないための防衛反応」。
期待して傷つくくらいなら、最初から期待しないように。
だから、「証拠集め」をしているの。
▷「どうせ私は選ばれない」が心の奥にあると…
これは、かつての裏切られた記憶や傷ついた経験がつくり出した “前提”かもしれない。
- 頑張ったのに報われなかった
- 期待したのに裏切られた
- 届けたかったのに無視された
そんな過去の痛みが、
「また裏切られるのが怖い」という無意識の防衛をつくっている。
✅ じゃあどうしたら「いいね」から自由になれる?
「いいねが欲しい自分」を責める必要はないです。
でも、その奥にある本当の声に気づくと、少し楽になります。
だからこそ、問いかけてみてください:
「私が本当に欲しかったのは、どんな感情?どんな関係性?」
「数字じゃない“ぬくもり”を、どこで感じたい?」
✍️ 自分に問いかけてみよう
🔁 解決の方向性としては…
「外に求める自分」を責めるのではなく、
「なぜそこに“欠け”を感じてるのか?」を掘り下げることです。
- 何歳の自分が反応してる?
- どんな時に「愛されてない」って感じた?
- その記憶を、今の自分ならどう癒せる?
ここからは、あなた自身の言葉で書き出してみて。
① 本当は、どうして欲しかった?
反応がほしかったんじゃなくて、本当はどんな気持ちを届けたかったの?
② どんな時、心から“満たされた”と感じた?
数字や評価じゃなくて、「自分の真ん中が満ちた」瞬間って、どんな時?
▷「期待される」から「期待しない」へ
そして「期待しない」から「満ちたまま差し出す」へ
本当の表現って、
誰かの反応によって揺れない“芯”から出てくるもの。
そのとき初めて、
「満たされる発信」ができるようになる。
▽ 最後に
表現は魂の波動。
数字じゃなく、あなたの振動数が人の心に届いている。
届いてないように見えても、
“感じ取ってくれている誰か”が、きっといるから。