「なんであの子みたいに可愛くなれないの?」──他人と比較してしまう心理を解き明かす

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SNSを開くと、誰かの「可愛い」が当たり前のように流れてくる。

笑顔も、スタイルも、服のセンスも、完璧に整えられている。

その画面を見た瞬間、胸の奥がズキッと痛む。

「どうして私は、あの子みたいに可愛くなれないんだろう」

そう思ったこと、あなたにもあるんじゃないかな。

ダイエットをしても、自分を磨いても、鏡を見るたびに足りなさを感じてしまう。

比べなきゃいいのに、気づいたらスクロールの指が止まらない。

そのたびに、「私なんて…」と自分を小さくしてしまう。

でも、この苦しみは外見の問題じゃない。

もっと深いところで、心が「自分の価値」を見失っているからなんだ。

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SNSの罠──あの子の“最高の瞬間”が私の劣等感を湧き上がらせる

SNSに流れているのは、その人が切り取った「一番いい瞬間」。

加工アプリで磨き上げられた肌、ポーズを何十枚も試した末に選ばれた一枚。

それを「当たり前の姿」だと思い込むから、見た瞬間に自分が劣っているように感じる。

投稿してすぐに「いいね」の数を見てしまう自分もいるよね。

数字が増えていれば安心できるけど、少なければ胃が重くなる。でも、「いいね」が多くても心は満たされてない・・・。

最初は数が多ければ満たされると思ってたけど、でもいつの間にかその数字が当たり前になって、

「もっと欲しい」に変わってる。

そして、スマホを置いたはずなのに、何度も開いて確認してしまう。

実際に比べているのは外見じゃなくて、「人からどう見られているか」という評価

だから、誰かの「可愛い」は、自分の「足りなさ」を突きつけるナイフみたいに感じるんだ。


美容整形という選択──外見を変えても埋まらない心の穴

「可愛くなれば、自信が持てる」

そう思って整形を考える人も多い。

もちろん外見を整えるのは悪いことじゃない。

だけど、その根っこに「今の私は劣っている」という前提があると、どこまでいじっても安心は訪れない。

二重にしても、「もっと大きな目がいい」でも、次の瞬間には「ここの肉がもう少し減ってくれたら・・・」とか思ってる

痩せても、「もっと細い子がいる」「ここの肉が気になる」「あの子みたいにここの部分がこうなって欲しいのに」とか思ってる。

体質も、骨格もまるで違うのに形だけに囚われて自分の個性を受容できない。

新しい外見を手に入れた瞬間は気分が上がるけど、それもすぐに薄れて、また次の不足に目が行ってしまう。

整形で整えたいのは、実は「外見の変化」じゃなくて、**「心の安心」**なんだよね。

でも心の穴は、メスを入れても変えることはできない。


なぜ比較ばかりしてしまうのか──自己肯定感のルーツ

人と比べずにいられないのは、自分の中に「自己肯定感の低さ」が根付いているから。

小さい頃から「もっとちゃんとしなさい」「いい子でいなさい」と言われてきた人は、

ありのままの自分じゃなく「条件を満たした時の自分」しか認められないと感じてしまう。

テストで100点を取ったら褒められる。

けど、80点では「頑張ったね」より「あと20点はどこ行ったの?」と親に言われたことがある子は、そんな体験が積み重なると、「足りない部分にばかり目を向ける癖」が染みついてしまう。

また、クラスの子が「数学80しか取れてない」とか言うと、自分は55点しかとってないことで、無意識に「私は80点も取れない」ことへの劣等感を抱いてしまうケースもあります。

80点以下の数字を取ってる自分をダメな奴なんだと歪んだ解釈に切り替えてしまう。

でも、本人はそんな思考のクセを持っているなんてことを知らないので、他人と自分を比べて、「あの子より〇〇がないから私は劣っている」と解釈してしまうのです。

大人になってSNSを見ると、その癖が発動する。

「あの子は私より綺麗」「私は〇〇だから、まだ足りない」

過去の刷り込みが、今度はSNSという画面を通じて再び自分の目の前にやってきてしまう。

そして、美容整形やメイク道具も自分の欠点を隠す、または消し去ることで自己肯定感をあげようとする。

でも、自分の欠点を隠すようにメイクをしてしまうことで、自分自身の無意識の領域に「足りない」という不足感を植え付けていることになります。

これが満たされない心を作っている元凶でもあります。


本当に欲しいのは“可愛い”じゃない

あなたが本当に欲しいのは、「可愛い」と言われることじゃない。

人と比べなくても「私でいい」と思える安心感。

他人の辞書にある「可愛い」に合わせるんじゃなくて、自分が納得できる自分になることが大切

「朝起きて、肌がしっとりしてると気分がいい」

「新しい服を着たときに背筋が伸びる」

「歩いてる時に足音が軽やかだと気分が上がる」

そういう瞬間を「私の可愛い」と名付けて、自分の中に積み重ねていく。

自分の感覚を大事にすることができると、自然と満足感が増えていって、他人からの承認を必要としなくなります。


心の闇に気づくことが、解放の第一歩

比較に苦しむのは「性格が弱いから」じゃない。

そこには、過去の経験から作られた 認知の歪み が関係している。

例えば、幼少期に「もっと頑張りなさい」と繰り返し言われたり、兄弟姉妹と比べられる環境にいた場合、脳は「私は十分ではない」という前提で世界を見てしまう。

この「私は劣っている」という前提が無意識に残っていると、大人になってからも他人との比較をやめられない。

つまり、比較癖は性格ではなく、過去の学習記憶の再生なんだ。

状況が変わっても、脳は自動的に昔のルールを適用してしまう。

「他人と比べて上に立たないと安心できない」という思考回路が作られているから、SNSや恋愛の場面でそのプログラムが作動してしまう。

じゃ具体的にどうすればいいのか?

  1. 「前提」に気づく→「私には足りない」と思った瞬間に、「あ、これは幼少期のプログラムが動いてる」とラベルを貼る。これだけで「自分が弱いからじゃない」と理解できる。
  2. 比較の対象を書き出す→「あの子の顔が可愛い」「あの子はスタイルがいい」と感じたら、紙に全部書く。書くことで「相手の強み=私の弱み」ではなく、単なる特徴の違いだと客観視できる。
  3. 自分の“基準”をつくる→「私はこういう状態が心地いい」という基準を一つ決める。例:肌がしっとりしている/姿勢がまっすぐ/笑顔で話せる。他人の基準ではなく「自分辞書」を育てると、比べる方向が外から内に変わる。
  4. 安心を経験で上書きする→小さな行動で「比較しなくても安心できる」経験を積む。例:SNSを見ない一日を過ごす/自分の写真を誰にも見せずに「今日はよかった」と記録する。脳に「比べなくても大丈夫」という新しい回路を作っていく。

比較をやめることは一気にはできない。

でも、「これは過去のプログラムだ」と気づいて、「自分の基準」を持つ練習を積むことで、少しずつ鎖が緩んでいくんだ。

量産型じゃなく、あなた自身の可愛さを

「量産型の方が安心」って思うのは、比べられる怖さから身を守るため。

でも同時に、あなたしか持っていない魅力を潰してしまうことでもある。

笑い方、声のトーン、考え方。

その全部が、あなただけのオリジナル。

誰かと同じ「可愛い」に合わせるんじゃなく、

「私の可愛い」を見つけた瞬間に、人と比べる必要がなくなる。


最後に

「なんであの子みたいに可愛くなれないの?」

そう思った時こそ、比べる視線を外に向けるんじゃなく、自分の中に戻すタイミング。

あなたが可愛さを証明する場所は、SNSじゃないよ。

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「なぜ、私は私を好きになれないの?」──心のブロックを解放するセッション

この記事を読んで、「他人と比べてしまう苦しみ」の根源が、あなたの心の中にあることに気づいたかもしれません。

  • 「もっと可愛くなりたい」
  • 「あの人みたいになりたい」

そう願う裏側には、「本当は、ありのままの自分を愛したい」という、あなたの魂からの叫びがあります。

しかし、長年の心のブロックは、一人で解き放つのが非常に難しいものです。

私のセッションでは、心理学と占いの両面から、あなたが本当に輝ける道を探します。

  1. 魂の羅針盤(占い): あなたが持って生まれた「本当の魅力」や「才能」を明確にし、自分だけの”現在地”を確認します。
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「あなたにしかない魅力」は、誰かの真似をして得られるものではありません。

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占い×心理学