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お腹を痛めて産んだ我が子なのに、子供を大事に思えない…
一緒にいると息が詰まりそうになるから仕事で忙しいフリをして、保育園のお迎えはできるだけ遅い時間まで預けてる。
など、子供といる時間を苦痛に感じてしまって、罪悪感で苦しんでいる方へ
私自身の体験を元に、その苦痛とどう向き合ってきたのか解説します。
自分の子供を愛せないのはなんで?
妊娠が分かった時は、素直に嬉しかったはずなのに、実際に生まれてきたら予想よりも大変でしんどいことが多くて、逃げ出したくなることが多かった記憶があります。
それは、入院中から始まっていました。
母乳が出ず、乳首が切れて痛くて授乳できない・したくないのに、その病院では完母であげるのが鉄則で、ミルクが用意されていない…
この時点で育児がとても苦痛に感じていました。
また、出産した時に痔になってしまい、それがかなりひどくて歩けない状態だったので、子供の世話どころではなかったのが始まりでした。
それでもなんとか退院して旦那の実家に帰ってからは、義母や義理の妹がノックもせず勝手に部屋に入ってきて、『赤ちゃん抱っこさせて』と母乳あげている最中に乱入してきたりして、イライラと無神経さにストレスまみれな育児で、産後うつになっていました。
義母は平気で室内でタバコ吸うタイプの人で、部屋が別々だったとしても、ドアの隙間から匂いが入ってくるので、それにもイライラしながら過ごしていました。
こんな風に子育てをする環境が整っていないと、産後うつやストレスで子供が原因ではないところで、育児に対しての苦手意識や苦痛が潜在意識にすり込まれていきます。
その結果、子育て=苦痛・苦労するもの
という方程式ができてしまい、子育てそのものが楽しめなくなります。
劣悪な環境で精神崩壊
産後の寝不足だけならまだ耐えられたかもしれないけど、子育てをするには最悪な環境だなと、感じたのはこの家族の異常な習慣でした。
トイレは小の場合は流さずに、次の人が小をするまでそのまま放置している家庭だったんです。
そういう衛生面でのストレスが結構多くて、しかもこの家庭では野菜を食べる人がいないからと冷蔵庫の中は、冷凍食品やインスタント系で溢れていました。
何もかもが私からしたら合わない・理解できないことだらけでストレスしか溜まらない環境での育児でした。
好きじゃない人との間の子供
当時付き合っていた彼との間に妊娠が分かった時は、素直に嬉しかったけど、本音を言うとその時付き合っていた人のことはあまり好きではなかった…
大好きな人を忘れたい一心で気を紛らわせるためだけに付き合っていた人との間にできた子供でした。
その当時の私は、姉の影響でどんなに好きな相手との子供でもその男のことが嫌いになると、子供まで愛せなくなるんだと勘違いしてしまい、『だったら打算で子供を作る方がいいかも』と思ってしまったんです。
対して好きでもないけど、コイツなら離婚しても養育費ちゃんと払いそうだし、私は勉強が一切できないタイプだけど、それなりに頭がいいからその遺伝子が欲しいと思いました。
若いし考え方が浅はかですが、その当時は、その程度の考えしかできない低俗な女だったと今なら痛感しています。
それと同時に私には、他に好きな人がいて、叶わない片思いをしながら子育てをしている状態でした。
愛着障害
ここまで読み進めていると分かると思いますが、私は重度の愛着障害だったと思います。
歪んだ思考や価値観を持っていて、でも、その異常な精神状態にあることを自覚なんてしていないし、どちらかというと、周りが私に酷い扱いをするという被害者意識がありました。
そして、一つの強烈な思い込みのせいで恋愛を拗らせていたんです。
それは『本当に好きな人とは結ばれない』という思い込みです。
私は、親の離婚をきっかけに《好きな人に捨てられる》という恐怖から逃げてきました。
大好きな人に捨てられたら生きていけないと思い込んでいたので、本気で好きになった相手とは距離をとり、別れても傷つかない相手とばかり付き合ってきました。
自分の本当の気持ちを抑えながら、好きでもない相手と一緒に育児をすることがとても苦痛に感じていました。
そんな私の中で歪んだ信念がありました↓↓
- 本当に好きな人とは結ばれない(当時あゆが大好きで、歌詞に心酔しきっていて、そうなるような恋愛の仕方に憧れていた)
- でも、寂しさに耐えられないから気を紛らわせるのに丁度いい人を見つけて付き合っていた
親になったからといって愛着障害が消えるわけではなく、拗らせたまま親になっていたので、子育てが本当に苦痛でたまらなかったんです。
自由の制限が苦しい
自分で自分を満たすことができなかったあの頃は、精神状態が不安定で常に愛情に飢えていました。
1人で子育てしていても、寂しくて寂しくて耐えられない夜がずっと続いていました。
独身の時は、夜飲みに行けば誰かしらと出会いがあったり、行き当たりばったりで仲良くなった人と飲み友になったりして、寂しさを紛らわせていましたが、子供が生まれてからは、夜に出歩くことができなくなり、楽しみを奪われた感覚があって、とても苦痛に感じていました。
子供がいない人が羨ましくてしょうがなかったのです。
また、華の20代を無駄にしているような気がして後悔もしていました。
友人と遊んでいても保育園のお迎えの時間があるからどんなに楽しくても、切り上げないと行けないことが苦痛だったり…
土日も子供がいることで自分の自由がなくなり、自由に使えたお金も子供のことで全部消えていく…
『私なんのために生まれてきたの?』と極論まで考えることもありました。
育児を楽しいと思えることがほとんどなく、育児=自由を奪う拷問とすら思っていました。
1番苦しかったのは、好きな人に会いに行けなかったこと…。
あの頃の私は、男がいないと生きていけないくらい精神的に弱い女だったんです。
なので、子供=私が欲しいもの(好きな人との時間を奪う存在)だと思っていました。
子育てに関する何もかもが私にとっては、苦手な作業でしかなくめんどくさいといつも思っていました。
私がここまで育児放棄せずにいられたのは、姉がそれをやっているのをみて、自分はあんな風にはならないという意地だけでなんとかやり過ごしていたんです。
私が変われたターニングポイント
私が自分の愛着障害に気づいたのは、子供の父親と別れて実家に戻って育児をし始めた時に、実家は実家でさらに苦痛な場所だったことで、どうにか一人で育児がしたいと市役所に駆け込んで、「お金貸してください』と相談しに行った時に、母子寮を紹介されました。
そこで入所できるかの調査が入り、晴れて母子寮に入所した時にそこの担当職員から《毒親》という本を紹介してもらいました。
そこに書かれていたのは、『まさに私のことだ!』と衝撃を受けました。
それからアダルトチルドレンのことを知り少しずつですが、自分の過去について振り返ってみたりしましたが、本格的に自己カウンセリングをするのは、それから10年経った頃でした。
その間に何人かの男性と出会い付き合っては別れてを繰り返していたので、その時に、『年齢もジャンルも違う人と付き合ったのに、みんな一緒な気がする・・・』
『もしかして、男が悪いんじゃなくて、私に問題があるのでは?』とその時始めて自分自身と向き合うことができました。
それから愛着障害についての本を読んで、『これ私じゃん・・・』ととても衝撃を受けたと同時に自分に絶望もしていました。
『こんなに人として底辺な私って生きる価値あるの?』とすら思っていました。
それでも、生きていくしかないし、その時に《変わりたい》と心からそう思うことができたので、苦しくても目を背けずに自分のダメな部分とひたすら向き合い続けました。
一時的に自己肯定感はドン底になる
もうこれ以上落ちようがない所まで、落ちきったので今まで意地張っていたプライドも全部なくなって逆に何もないからこそ、失敗したらどうしようとかも思わずに、自分とひたすら向き合い続けていました。
「変わりたい」と思った時から何かが動き始めて、その間《お試し》が何度もきました。
今までだったら絶対に好きになっていた人が何回も現れるんです。
一人クリアしても、またレベルを上げていい男風に見える男性が現れたりします。
でも、よくよく観察していると全員回避型タイプの男性でした。
何年もの間、似たような男性が現れては消えてを繰り返して、それでも変わりたいという気持ちに一切の嘘はなかったので、全部クリアすることができました。
でも、その間の数年間は精神的に一人で乗り越えないといけない期間は本当に苦しかったです。
それからは、そういう男性に出会うことがなくなって、今度は育児に関して、今まで避けてきた子供との向き合い方の課題をやる時がきた気がして、そのことと数年かけて自分の内側と向き合っていました。
自分が世間一般の女性よりも育児に関して積極的になれないことの後ろめたさもありながら、その罪悪感を見てぬふりをしていたんです。
過去と現在を切り離す
子供と真剣に向き合えない苦しさや罪悪感と、いよいよ向き合う時が来たなとなんとなく感じたのは、自己カウセリングを始めて5年も経過した頃でした。
それまでも何度も挑戦はしていたけど、ブロックが中々外れなくて、保留になることが多く、自分でもモヤモヤする期間が長くありました。
でも、諦めずに他のブロックを解除することを先にやったりしていました。
そんな中、なんとなく子供のことでイライラした出来事があって、その感情を鎮めるために向き合った時に、ちゃんと外れてくれたので、それを解説していきます。
私が子供を愛せないと思っていた原因は・・・
嫌いだった子供の父親と子供を同一視していたんです。
このブロックを見つけた時に心がブワッとなった感覚があって、やっと呪いが解けたような気がしたんです。
そこに気づいた瞬間に子供が何かやってもイラッとこなくなり、私は今まで、あの頃の旦那を見る目で子供を見ていたんだと思うと、自分にゾッとした瞬間でもありました。
子供と父親が分離した瞬間に今まで感じたことのない解放感がありました。
なので、もし子供を愛せないと感じている人がいたら、このどれかあるいは、全部に当てはまっていないか自分と向き合ってみて下さい。
- 子供の父親に対して今でも怒りを感じている
- 自分の父親に対して怒りを感じている
- ご自身が愛着障害を抱えている
- 毒親に育てられた
原因は一つではなく、複数の問題が複雑に絡み合って歪な思考やブロックを作り上げていることがあるので、根気強く自分と向き合ってみましょう。
まとめ
今回は自分の子供を愛せない人に向けて実体験を通して、赤裸々に語ってみました。
私自身がそのこととどう向き合ってきたのかを交えて解説しましたが・・・
自分と向き合うということは、実は簡単なことではなく、それ自体ができない人が多いと思います。
だって他人に罪をなすりつけて被害者ズラした方が気持ち的には楽ですよね。笑
でも、本気で幸せになりたいと覚悟を決めたからこそ、今は生きやすくなったし、自分を不幸にする考え方や選択をしなくなったので、苦しかったけど、本当に向き合ってきて良かったと心から思えます。
私は、心のブロックは外せるものと外せないものがあって、自分の今の精神状態のレベルで変わってくるのかなと思いました。
なので、今は外せなくても自分の心が成長していけばいずれは外れるものだと思います。
長い時間をかけてでも、自分の囚われてた思考と向き合っていきましょう。